- スタートアップの給与設計が重要な理由
- 創業者・経営陣の給与の決め方
- 従業員の給与体系と水準の設定方法
- 給与以外の報酬設計(ストック・オプション、福利厚生)
- 事業フェーズ別の給与戦略
スタートアップにとって給与設計は、優秀な人材の獲得と定着を左右する重要な経営判断です。しかし、創業者の報酬をどう設定すべきか、従業員の給与水準はどの程度が適切か、ストック・オプションはどう活用すべきかなど、初めての経営者にとっては判断が難しい課題が山積しています。
本記事では、創業者から従業員まで、スタートアップの給与設計における基本的な考え方と実践的な方法を解説します。事業フェーズ別の戦略やよくある失敗パターンも紹介しますので、持続可能な報酬体系の構築にお役立てください。
スタートアップの給与設計が重要な理由
組織の成長を左右する重要な経営判断
給与設計はスタートアップの成長を大きく左右する経営判断です。適切な報酬体系は優秀な人材の獲得と定着を実現し、事業拡大の原動力となります。一方で、設計を誤ると採用競争力の低下や既存メンバーの離職を招き、事業成長にブレーキがかかります。
給与設計が重要な理由は大きく3つあります。
1つ目は人材獲得競争での優位性確保です。スタートアップ市場では優秀な人材の争奪戦が激化しており、同業他社と比較して著しく低い給与水準では候補者を惹きつけることができません。
2つ目は従業員のモチベーション維持です。公平で納得感のある報酬制度は、メンバーが高いパフォーマンスを発揮し続けるための基盤となります。
3つ目は人件費のコントロールです。計画的な給与設計により、事業成長と財務健全性のバランスを保つことができます。
創業者のパフォーマンスにも直結
創業者自身の給与設定も重要です。過度に低い報酬は生活面での不安を生み、経営判断に悪影響を及ぼす可能性があります。資金調達やM&A提案など、重要な意思決定の場面で金銭的プレッシャーが判断を歪めるリスクがあるためです。また、共同創業者の退任時に株式を買い取る資金が必要になるケースもあり、一定の報酬確保は経営の安定性にも繋がります。
給与設計は一度決めたら終わりではなく、事業フェーズや組織規模に応じて継続的に見直すべき経営課題です。初期の設計が後々まで影響するため、慎重かつ戦略的なアプローチが求められます。
創業者・経営陣の給与の決め方
創業者の給与水準の目安
創業者の給与は事業フェーズによって大きく異なります。国内スタートアップでは、創業初期のCEOは年収400万円から600万円程度でスタートするケースが多く、これは日本の平均年収とほぼ同水準です。資本金2,000万円未満の企業における役員報酬の平均は約566万円というデータもあり、創業当初は必要最低限の生活ができる水準に設定されることが一般的です。
事業が軌道に乗り資金調達を経ると、年収800万円から1,200万円程度まで上昇する傾向にあります。ただし、これはあくまで目安であり、個人のライフスタイルや家族構成によって適正額は変わります。重要なのは、創業者自身が事業に集中できる精神的安定を保てる金額を設定することです。
役員報酬の決定プロセスと法的要件
役員報酬は経営者が自由に決められるものではなく、定款または株主総会での決議が必要です。実務では定款での規定は後の変更が困難なため、株主総会で総額を決定し、取締役会で各役員への配分を決めるのが一般的な流れとなります。
法人税との関係では、役員報酬を損金算入するために一定のルールを守る必要があります。最も多く採用されるのは「定期同額給与」で、毎月同額を支払う方式です。変更は事業年度開始から3ヶ月以内に限定されており、頻繁な変更はできません。これは税制の公平性を保つための措置で、利益操作を防ぐ目的があります。
バランスの取れた報酬設定のポイント
創業者の給与設定では、高すぎず低すぎないバランスが重要です。年収1,000万円以上に設定すると税金や社会保険料の負担が大きくなり、会社のキャッシュフローを圧迫します。一方で、過度に低い設定は生活不安や将来のコーポレートアクションへの対応力不足を招きます。自身のパフォーマンスを最大化できる水準を見極め、残りの資金は事業成長への投資に回すという考え方が合理的です。
従業員の給与体系と水準の設定方法
給与体系の基本構成要素
従業員の給与は複数の要素を組み合わせて設計します。基本となるのは「基本給」で、所定労働時間の業務に対して支払われる固定部分です。これに加えて、職務の重要度に応じた「職務給」、専門スキルや資格に対する「能力給」を組み合わせることで、メリハリのある報酬体系を構築できます。さらに「賞与」や個人業績に連動する「成果給(インセンティブ)」、通勤手当や住宅手当などの「諸手当」を必要に応じて加えていきます。
スタートアップでは全ての要素を含める必要はありません。創業期は基本給中心のシンプルな構成からスタートし、組織拡大に伴って段階的に要素を追加していくアプローチが実務的です。
フェーズ別の給与水準
スタートアップの給与水準は事業フェーズによって大きく変わります。シード・アーリー期では売上がほぼゼロのため、最低限の生活費レベルか年収600万円程度が上限となることが多く、ストックオプションで補完するのが一般的です。ミドル期(創業3〜5年、社員数20〜50人程度)では年収500万円から700万円程度、レーター期(創業6年以降、社員数50人以上)では600万円から1,000万円程度が目安となります。
20代後半から30代半ばの幹部候補人材の場合、この水準が1つの基準となりますが、職種や経験によって柔軟に調整が必要です。
給与水準設定時の3つの考慮点
給与水準を決める際は、内部公平性、外部競争性、予算制約のバランスを取ることが重要です。内部公平性では、同じ等級内での職種間格差に注意が必要です。特にエンジニアは市場価値が高いため、他職種と給与レンジを分けて設定する企業も少なくありません。外部競争性では、転職サイトや業界調査を活用して同業他社の水準を把握し、著しく乖離しないよう調整します。
創業期は月次給与を抑えめに設定し、業績が向上した際は賞与で還元する方式も有効です。これにより固定費を抑えつつ、メンバーのモチベーション維持と離職防止を両立できます。
給与以外の報酬設計(ストック・オプション、福利厚生)
ストック・オプションの基本と付与方法
ストック・オプション(SO)は、自社株式を一定価格で購入できる権利で、スタートアップが現金報酬の不足を補う重要な手段です。IPOやM&Aによって企業価値が上昇した際に、大きなリターンを得られる可能性があります。全株式数の10%程度をストックオプション枠として確保し、採用や貢献に応じて段階的に配分する企業が多く見られます。
付与条件は入社時のオファーレターに明記され、通常は3年勤務後から段階的に行使可能になる仕組みです。例えば「3年勤務後に1/3、その後1年ごとに1/3ずつ行使可能」といった条件が典型的です。入社後の貢献に応じて追加発行されるケースもあるため、入社前に過度な交渉をするよりも、入社後の実績で評価される姿勢が重要です。

ストック・オプションに対する現実的な考え方
ストック・オプションは「当たれば大きいが、当たらない可能性も高い宝くじ」として捉えるべきです。日本では起業後10年存続する確率が5%、実際にイグジットに成功する確率はさらに低いのが現実です。金銭リターンを第一の目的としてスタートアップに参画すると、IPOが遠のいた際にモチベーションを維持できなくなるリスクがあります。むしろ、経営者のビジョンへの共感や事業への情熱が持続の鍵となり、結果的にそのような姿勢を持つ人のもとにリターンが訪れる傾向があります。


非金銭的報酬と福利厚生の設計
給与やストック・オプション以外の報酬も、従業員の満足度や定着率に大きく影響します。非金銭的報酬には、やりがいのある仕事、成長機会の提供、柔軟な働き方、表彰制度などが含まれます。福利厚生として、社員同士の交流を促す「シャッフルランチ手当」や専門性向上のための「社外活動費」を支給する企業もあります。
これらは各社の文化やメッセージを反映しやすい領域です。ただし、一度設けた手当は廃止が難しいため、本当に必要か、持続可能かを慎重に検討する必要があります。

事業フェーズ別の給与戦略
シード・アーリー期(創業〜3年、社員数10名未満)
創業初期は売上がほぼゼロで資金も限られているため、給与は最低限に抑える必要があります。創業者は月8万円から25万円程度、従業員も最低限の生活ができる水準でスタートするケースが一般的です。この時期の戦略は「ランウェイの最大化」で、給与を抑えることでPMF(プロダクトマーケットフィット)までの挑戦回数を増やすことが優先されます。
金銭報酬の不足はストック・オプションで補完します。初期メンバーには相対的に多めの割合を付与することで、リスクを取って参画する意義を示します。この時期に参画するメンバーは、給与よりもビジョンへの共感や成長機会を重視する傾向があり、自己犠牲の精神を持って取り組める人材が求められます。

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ミドル期(創業3〜5年、社員数20〜50名)
事業の立ち上げに目途が立ち、勝ちパターンを模索するフェーズです。VCからのシリーズA調達が行われることが多く、資金調達成功後は給与水準を見直すタイミングとなります。創業者の年収は600万円から1,000万円程度、従業員は500万円から700万円程度が目安です。
この時期の戦略は「採用競争力の確保」です。事業拡大に必要な人材を獲得するため、市場水準を意識した給与設定が重要になります。ただし、まだ収益が安定していないため、固定給は抑えめにし、業績連動の賞与で調整する設計も有効です。職種別の給与レンジ設定も検討し始める時期で、特にエンジニアなど市場価値の高い職種には競争力のある水準を用意する必要があります。
レーター期(創業6年以降、社員数50名以上)
事業が軌道に乗り、継続的な収益が見込めるフェーズです。創業者は年収1,000万円以上、従業員も600万円から1,000万円程度まで上昇します。IPOを視野に入れた利益確保が求められるため、給与の急激な上昇は抑えられる傾向にありますが、事業規模に応じた適正な水準への調整が必要です。
この時期の戦略は「優秀人材の定着」です。役員クラスの報酬設計が特に重要で、他社で起業した場合の期待値も考慮した株式報酬の充実が求められます。制度化された評価・報酬体系を整備し、透明性と公平性を高めることで、組織の信頼性を向上させます。
給与設計でよくある失敗と注意点
創業者の給与設定における失敗パターン
創業者が陥りがちな失敗は、給与を極端に低く設定しすぎることです。「清貧であるべき」という不文律に縛られ、月8万円など生活が困窮するレベルに抑えると、家族の生活不安が経営判断に悪影響を及ぼします。特にM&A提案や資金調達など重要な意思決定の場面で、金銭的プレッシャーが判断を歪めるリスクがあります。また、共同創業者の退任時に株式を買い取る資金がない、家族の急な支出に対応できないなど、コーポレートアクションが取れない状態も問題です。
逆に高すぎる設定も危険です。年収1,000万円を超えると税金や社会保険料の負担が急増し、会社と個人双方のキャッシュフローを圧迫します。さらに、不相当に高額な役員報酬は税務署の調査対象となり、損金算入が認められないリスクもあります。
従業員給与における設計ミス
従業員給与でよくある失敗は、内部公平性の欠如です。同じ等級でも職種によって業務難易度や市場価値が異なるにもかかわらず、一律の給与レンジを適用すると不公平感が生まれます。特にエンジニアと他職種で市場水準に大きな差がある場合、優秀な人材の流出を招きます。一方で、根拠のない職種間格差も不満の原因となるため、市場データに基づいた合理的な説明が必要です。
もう1つの失敗は、手当の乱立です。他社を見よう見まねで設定した結果、制度全体の整合性が取れなくなるケースがあります。例えば、役割等級制度を採用している企業が職能等級前提の「役職手当」を設けると、等級と役職が一致しているため手当の意味をなしません。手当は一度設けると廃止が困難なため、本当に必要か慎重に検討すべきです。
制度運用での注意点
給与設計後の運用面でも注意が必要です。役員報酬は原則として事業年度開始から3ヶ月以内にしか変更できないため、期中の業績変動に対応できません。損益予測を誤ると予想外の税負担が発生するリスクがあり、売上の入金タイミングと納税時期のズレで資金繰りが悪化する可能性もあります。
また、人事制度全体の一貫性も重要です。目標制度で成果主義を掲げながら報酬は成果に連動しない設計では、制度が機能しません。評価制度、等級制度、報酬制度が一貫したメッセージを発信しているか、定期的な検証が必要です。
まとめ
スタートアップの給与設計は、事業成長と人材確保のバランスを取る継続的な経営課題です。創業者は過度な清貧に陥らず、事業に集中できる適正な報酬を設定することが重要です。従業員給与は事業フェーズに応じて段階的に引き上げ、内部公平性と外部競争性の両面から検証します。ストック・オプションは金銭リターンよりもビジョンへの共感を軸に活用し、福利厚生は持続可能性を慎重に検討してください。
給与設計に完璧な正解はありませんが、「何のための報酬か」というメッセージを明確にし、人事制度全体との一貫性を保つことが成功のポイントとなります。組織の成長に合わせて柔軟に見直しながら、長期的な視点で報酬体系を構築していきましょう。
本記事が参考になれば幸いです。