スタートアップが成長資金を調達する際、投資契約の内容を十分理解せずに締結してしまうと、将来的に経営の自由度を失ったり、予期しない買取義務を負ったりするリスクがあります。
投資契約は投資家保護の側面が強く、創業者にとって不利な条項が含まれることも少なくありません。
本記事では、投資契約で特に注意すべき条項から交渉のポイント、締結後の対応まで、スタートアップが知っておくべき重要な知識を解説します。
投資契約の基本知識と重要性
投資契約とは何か
投資契約とは、ベンチャーキャピタルや事業会社、エンジェル投資家などから出資を受ける際に、投資家と発行会社(スタートアップ)、創業株主の間で締結する契約です。単に資金を受け取るだけでなく、投資後の経営への関与方法や株主の権利義務、将来のエグジット(IPOやM&A)に関する取り決めを定める重要な契約となります。
なぜ投資契約が必要なのか
会社法上、新株発行による資金調達には投資契約の締結は必須ではありません。しかし、投資家にとって外部から企業の実情を完全に把握することは困難であり、想定外の事態が発生した際のリスクを軽減する必要があります。また、創業者と投資家の立場や考え方の違いから生じる将来的な衝突を防ぐため、予め明確なルールを設定しておくことが重要です。
スタートアップにとっての意義
投資契約は投資家を保護する側面が強いものの、スタートアップにとっても重要な意味を持ちます。事業計画通りに進まなかった場合の対応方法を事前に合意しておくことで、投資家との無用なトラブルを回避できます。また、長期的なパートナーシップを築く基盤として、お互いの期待値を明確にする役割も果たします。
投資契約の基本構造
投資契約書は、投資実行条件や経営関与のルールなどを取り決めるために、通常は「投資契約書」「株主間契約書」「財産分配契約書」など複数の契約書に分けて締結されることがあります。ただし、どのように分けるかは案件ごとに異なり、投資家が1名のみのケースや初期ラウンドでは、ひとつの契約書にまとめられることもあります。特に、株主構成や利害関係の複雑さによって、必要となる契約の種類と範囲は大きく変動します。そのため、契約書の構成がどうなっているかは必ず事前に確認し、各契約の内容とリスクを丁寧に把握しておくことが重要です。
投資契約締結前に準備すべきこと
秘密保持契約(NDA)の締結
投資契約締結前の最初のステップとして、秘密保持契約の締結は必須です。投資家に対して事業計画書や財務情報など、重要な機密情報を開示する必要があるため、情報漏洩を防ぐ仕組みを確実に構築しておきましょう。特に日本では投資担当者が途中で変更されるケースもあるため、組織全体での秘密保持義務を明確にすることが重要です。
タームシートの活用
タームシートは投資契約の概要を簡潔にまとめた書面で、投資金額、持分比率、基本的な権利関係などを整理します。日本では省略されることもありますが、長文になりがちな投資契約書を作成する前に、重要な条件について投資家との認識を合わせておくことで、後の交渉をスムーズに進められます。ただし、タームシート自体は契約書ではないため、内容が最終的な投資契約書に適切に反映されるよう注意が必要です。
デューデリジェンスへの対応準備
投資家は投資判断のため、財務面、法務面、事業面での詳細な調査(デューデリジェンス)を実施します。この段階で必要な帳簿や資料がきちんと整備されていると、投資家に好印象を与えられます。特に決算関連書類、株主総会議事録、重要な契約書、知的財産権関連書類などは事前に整理しておきましょう。
専門家のサポート体制構築
投資契約は複雑で、一度締結すると変更が困難です。契約内容を十分理解せずに締結すると、将来的に非常に不利な立場に立たされるリスクがあります。スタートアップの法務に精通した弁護士からリーガルチェックを受け、必要に応じて交渉のサポートを得ることが重要です。また、公認会計士や税理士といった他の専門家との連携も検討しましょう。
社内体制の整備
投資契約締結後は投資家への定期的な報告義務が発生することが多いため、財務報告や事業報告の体制を事前に整備しておくことが大切です。毎月の試算表作成や経営会議の資料整備など、投資家との継続的なコミュニケーションに必要な仕組みを構築しておきましょう。
投資契約書で最も注意すべき条項
表明保証条項の内容確認
表明保証条項は、投資契約締結時点での会社の状況について、創業者が投資家に対して「真実である」ことを保証する重要な条項です。財務諸表の正確性、反社会的勢力との関係がないこと、重大な法令違反がないことなどが含まれます。しかし、設立間もない企業が「一般的に公正妥当と認められる企業会計基準に準拠している」といった過度な保証を求められた場合は注意が必要です。例えば、「発行会社の知る限り」といった限定文言を挿入し、把握しきれない事実についての免責を確保するなどしましょう。
株式買取条項のリスク
契約違反や法令違反があった場合に、投資家が会社や創業者に対して株式の買い取りを請求できる条項です。この条項で特に注意すべきは、具体的な期限設定がある場合です。「○年までに上場できない場合は株式を買い取る」といった条件が設定されていると、期限までに上場できなかった際に多額の買取代金を支払う必要が生じ、会社の財務を圧迫する可能性があります。
資金使途制限の適切な設定
投資家から受けた資金の使い道を制限する条項も重要なチェックポイントです。あまりに厳格な制限があると、事業環境の変化に応じた柔軟な資金運用ができなくなります。ベンチャー企業の事業計画は途中で軌道修正(ピボット)が必要になることが多いため、「事業計画に沿った目的」ではなく「事業計画及び合理的な理由に基づき改定した事業計画に沿った目的」といった表現にするなど、適度な柔軟性を確保することが大切です。
経営関与に関する条項
投資家の経営への関与度を定める条項も慎重に検討すべきです。重要事項の事前承認制度は投資家保護の観点から一定程度やむを得ませんが、承認事項が多すぎると意思決定スピードが著しく低下します。真に重要な事項に限定し、その他は通知事項や協議事項とするなど、経営の自由度とのバランスを取ることが重要です。また、毎月の試算表提出義務なども、シードステージの企業には過度な負担となる可能性があるため、企業の成長段階に応じた適切な水準での合意を目指しましょう。
経営の自由度を守るための交渉ポイント
意思決定プロセスの最適化
投資家から事前承認事項の設定を求められた場合、その範囲を必要最小限に留めることが重要です。たとえば、新株発行など、投資家の持分に直接影響する事項については承認を求められるのが一般的ですが、日常的な経営判断まで承認が必要になると、ベンチャー企業の生命線である意思決定スピードが失われます。承認事項、通知事項、協議事項を適切に区分し、緊急時の例外規定も設けておくことで、経営の機動性を確保しましょう。
株主構成における主導権の維持
創業者の持株比率が過度に希薄化されると、経営の主導権を失うリスクがあります。投資家の持分比率が高すぎる条件での出資は避け、少なくとも創業間もない段階では創業者が経営のイニシアティブを維持できる株主構成を保つことが重要です。また、将来の追加投資ラウンドでの希薄化を防ぐため、優先株式の発行条件や新株予約権の設定についても慎重に検討する必要があります。
報告義務の合理化
投資家への報告義務は情報共有の観点から重要ですが、過度な報告要求は本業への集中を妨げる要因となります。月次試算表の提出や詳細な事業報告など、経理専任担当者がいないシードステージの企業には負担が大きすぎる要求については、四半期報告への変更や簡易版での対応を提案するなど、企業の成長段階に応じて段階的に報告水準を上げていく条件設定も有効です。
資金使途の柔軟性確保
事業計画に沿った資金使用は当然ですが、ベンチャー企業には予期しない事業機会や市場変化への対応が求められます。資金使途を過度に限定する条項ではなく、「合理的な事業目的」や「事業価値向上のため」といった包括的な表現を取り入れることで、必要な場面での柔軟な資金活用を可能にします。また、一定金額以下の支出については事前承認を不要とする閾値設定も交渉ポイントとなります。
競業制限の適切な範囲設定
投資家から競業避止義務を求められる場合、その範囲や期間を適切に設定することが重要です。事業領域の定義が曖昧だと、将来の事業展開が制約される可能性があります。地理的範囲、対象事業の具体的定義、制限期間を明確にし、創業者の将来のキャリア選択肢を過度に制限しない条件での合意を目指しましょう。また、投資契約終了後の制限についても、合理的な期間設定となるよう交渉することが大切です。
契約違反を避けるリスク管理
表明保証違反の予防策
表明保証違反は最も多い契約違反の一つです。財務諸表の正確性、法令遵守状況、知的財産権の侵害リスクなど、契約締結時に保証した内容に虚偽があると重大な違反となります。予防策として、契約締結前に弁護士等による事前チェックを受け、潜在的な問題を洗い出しておくことが重要です。また、「知る限りにおいて」などの限定文言を適切に活用し、把握困難な事実についてのリスクを軽減しておきましょう。
法令遵守体制の強化
反社会的勢力との一切の関係を排除する体制の整備、労働法の遵守、個人情報保護法への対応など、法令違反は契約違反事由となることが多いため、コンプライアンス体制の整備が不可欠です。特にベンチャー企業では人事労務面での違反が起こりやすいため、就業規則の整備、残業代の適切な支払い、労働時間管理の徹底などを行いましょう。また、取引先との契約においても反社チェックを実施し、知らないうちに問題のある相手と取引してしまうリスクを回避する必要があります。
資金使途管理の徹底
資金使途違反も深刻な契約違反となります。投資資金を事業計画と異なる目的で使用したり、創業者の個人的用途に流用したりすることは絶対に避けなければなりません。資金管理体制を明確にし、支出の承認フローを整備することで、意図しない資金使途違反を防げます。また、事業計画の変更が必要になった場合は、事前に投資家と協議し、資金使途の変更について合意を得ることが重要です。
報告義務の確実な履行
投資契約で定められた報告義務の不履行も契約違反となります。月次や四半期の財務報告、重要事項の通知、株主総会の開催通知など、期限や方法が明確に定められた報告義務については、社内でスケジュール管理を徹底し、確実に履行する体制を構築しましょう。報告漏れを防ぐため、投資家向け報告のチェックリストを作成し、定期的に見直すことも有効です。
早期警戒システムの構築
契約違反が発生してしまった場合、早期発見と迅速な対応が被害の拡大を防ぎます。月次での契約履行状況の自己点検、顧問弁護士との定期的な相談体制、社内でのコンプライアンス研修の実施など、問題の芽を早期に発見できる仕組みを整備しましょう。また、万が一契約違反が発覚した場合の対応フローを事前に準備し、投資家への迅速な報告と改善策の提示ができる体制を整えておくことが大切です。問題を隠蔽せず、透明性を保った対応が長期的な信頼関係の維持につながります。
投資契約締結後の対応と注意点
継続的な関係構築と報告体制
投資契約締結後は投資家との長期的なパートナーシップが始まります。定期的な報告義務を確実に履行し、透明性の高いコミュニケーションを心がけることが重要です。月次財務報告や事業進捗報告だけでなく、市場環境の変化や新たな課題についても積極的に情報共有しましょう。投資家は豊富な経験とネットワークを持つため、困難な局面での相談相手として活用できます。定期的な面談やボードミーティングを通じて、建設的な関係を維持することが企業成長の重要な要素となります。
追加資金調達への影響管理
投資契約は将来の資金調達における重要なベースラインとなります。たとえば、投資家の優先引受権や最恵待遇条項により、次回以降の調達条件が制約される可能性があるため、将来の資金調達戦略を見据えた契約管理が必要です。新たな投資家候補との交渉時には、既存の投資契約との整合性を確認し、矛盾や競合が生じないよう注意深く進める必要があります。また、バリュエーションの上昇に伴い、既存投資家との条件調整が必要になる場合もあります。
株主間の利害調整
複数の投資家が参画すると、それぞれの利害や期待が異なる場合があります。エグジット時期の考え方、事業戦略の方向性、追加投資の意向などで意見が分かれることもあるため、株主間での調整が重要になります。株主総会や取締役会での意思決定プロセスを明確にし、必要に応じて株主間での事前協議の場を設けることで、円滑な企業運営を維持できます。また、投資家同士の対立が企業経営に悪影響を与えないよう、会社側がリーダーシップを発揮することが求められます。
エグジット戦略の継続的検討
投資家はIPOやM&Aによる投資回収を前提として出資しているため、エグジット戦略の検討は継続的な課題となります。事業計画の進捗状況や市場環境の変化を踏まえ、現実的なエグジット時期とシナリオを投資家と共有することが重要です。IPO準備が順調に進まない場合でも、M&Aという選択肢を含めた柔軟な戦略検討が必要になります。また、エグジット時の株主間での利害調整についても、早い段階から認識を合わせておくことが円滑な実現につながります。
契約見直しのタイミング把握
投資契約は一度締結すると変更が困難ですが、事業環境の大幅な変化や企業ステージの移行に伴い、見直しが必要になる場合があります。IPO準備段階では上場審査の観点から契約内容の修正が求められることもあります。また、新たな投資ラウンドの際には、契約条件の統一や簡素化が議題となることもあります。こうした見直しのタイミングを適切に把握し、投資家との事前協議を通じて合意形成を図ることが重要です。
まとめ
投資契約はスタートアップの成長に欠かせない重要な契約ですが、内容を十分理解せずに締結すると将来的に大きな制約を受けるリスクがあります。特に表明保証条項、株式買取条項、資金使途制限などの重要条項については、自社に不利な内容になっていないか慎重に確認することが必要です。
契約交渉では、経営の自由度を確保しつつ投資家との信頼関係を構築するバランスが重要となります。専門家のサポートを受けながら適切な条件での合意を目指し、締結後も継続的なコミュニケーションを通じて良好なパートナーシップを維持しましょう。
本記事が参考になれば幸いです。